2013年12月 - 全共闘時代用語の基礎知識1960-1975 再建準備委員会
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マルチメディア共産趣味者連合中央委員会様より転載
当時のヘルメットたち

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日大芸術学部

下の写真は「激動の990日 第二安保警備の写真記録」という警察の内部資料から取り込んだヘルメット画像です。(遊撃インターネット様ご提供)

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労働組合づくり入門

国際共産趣味ネットより転載
製作:TAMO2氏

・哲学者は世の中を様々に解釈してきたに過ぎない。要は、それを変革することである。
 (カール・マルクス、『フォイエルバッハに関するテーゼ11番』

・人間は、世界を認識するだけにとどまらず、自らの欲求に従いそれに働きかけ改造する。
(V・I・ウリヤーノフ『哲学ノート』)

労働組合づくり入門

 いま、未組織の労働者のところでは、労働組合をつくりたいという意欲が高まっている。人なみの生活もおくれないような低賃金、とめどもない長時間 の残業、いわれのない差別、まったくの無権利状態…。こういう状態をすこしでも改善するためには、組合をつくって団結してたたかう以外にない。

 しかし、おおくの場合、どのように労働組合をつくっていったらよいかわからないし、かりにつくったとしても、すぐにつぶれてしまうケースがすくなくない。
 そのため本誌では、ある労働組合がつくった『組合づくりのABC』という小冊子の内容を何回かにわけて転載することにした。実際に数おおくの組合づくりの経験をもとにかかれているので、実践的な指針として参考にすることができる。
 ただし、この小冊子は、しっかりとした上部団体のオルグが組合づくりを指導、援助することを前提にして書かれている。そのような条件がないところでは、この内容を参考にしつつ、その条件にあった活動をあみだしていかなくてはならない。
また、書かれている内容について異論をもたれる読者があるかもしれないが、一つの実践的な経験としてうけとめていただき、それぞれの職場や産業、業種などの実際状況と活動にてらしあわせて、検討していただければさいわいである。
 なお、この連載では元の小冊子の内容に若干の添削をおこなっており、文責はすべて本誌編集部にある。
 また、労働通信社が発行した『労働組合のつくりかた』(九三年九月発行)や、フィリピンの労働組合センター・KMU(五月一日運動)の中級テキスト『GTU(真の労働組合運動)』日本語版(九六年一月発行)などもあわせて参考にしていただきたい。

はじめに

 「労働組合はほしいけど、うちの社長はワンマンだし、首がこわいから……」「会社もちいさいし、みんなバラバラで、先頭にたつものがいないからむずかしいなあ……」
 賃金や労働条件にたくさんの不平・不満をかかえているのに、いざ労働組合づくりになると、こんなふうにあきらめてしまっているなかまがおおくいます。
その大半の原因は、組合づくりといってもなにからはじめればいいかわからない、という点にあるようです。
 そこでこの手引は、こころひそかに労働組合づくりをねがっているなかまや、近隣の同業他社のなかまに組合づくりをはたらきかけようと意欲をもやしている 職場活動家のみなさんに、労働組合づくりの大筋をつかんでもらえるよう作成しました。 この手引が一人でもおおくのみなさんの活動の指針になるよう、ね がってやみません。

第一章 出発がまず大事

 賃金や労働条件、休日休暇、また一時金(ボーナス)や退職金、その他各種の労働条件が、組合のあるところにくらべてよくないだけでなく、労働基準 法の最低基準すらまもられていない。そればかりか、労働者としての人格や基本的人権を無視した一方的労務管理が平気ではばをきかせているーー。労働組合の ない中小のおおくの職場で、労働者はまったくのつかいすてのぼろ雑巾のようなあつかいを受けています。

 また、労働者を支配しおさえこむために、だいたい親戚の人間をおおぜいつかったり、職制のしくみをえさにしてゴマスリをスパイにつかったり、労働組合をつくらせないための防波堤として会社のお声がかりの親睦会をつくったり、いろいろ知恵をしぼって工夫しています。
 こうしたなかで未組織のなかまたちは、組合がないためにばらばらな状態におかれながらも、なんとかみんなが一本にまとまれないものか、いつかはかならず 組合をつくってみせる、チャンスがくれば、と待望しています。それだけに、組合づくりをはじめるときはまず出発点がだいじなのです。

ぱっと咲いて散る!インスタントの組合づくりは失敗の率が高い

 未組織のなかまのあいだでは、「みんなのきもちがもりあがらない」「一人一人ばらばらだからやってもむだだ」というばくぜんとした、しかしねづよい偏見があります。 

 それだけに、ある瞬間に大問題が勃発していっきょにチャンス到来し、とたんにみんなで相談がはじまり、みんなで団結していっきょに組合をつくってしまおう、というのが実際にいちばんおおいケースです。
 しかし、みなさん!
 こういう場合は、あまりにもインスタント=即席であり、失敗の例がおおいのです。なぜでしょうか?
 考えれば、だれにでもわかるとおり、準備不足のため無防備すぎて、会社側にけちらされてしまうわけです。
 組合運動は趣味のあつまりではありません。組合をつくられて血相がかわり、必死になった資本家と対等にはりあうのですから、生半可な知識やはったりでや れるものでないし、まして多数の職場のなかまの生活に影響するのですから、中途はんぱではすみません。ずるがしこくて、カネとひまをふんだんにもっている 資本家にひねられる危険があるわけです。

 
バラバラなときこそチャンス

 組合づくりの「開始」は、常識とぎゃくに、みんながバラバラでまとまりのわるいときこそ、絶好のチャンスです。

 なぜなら、組合づくりの準備活動は、一定の期間をかけて極秘のうちにやるのであって、おおぜいのなかまたちが知っていたのでは、会社の耳にはいり、準備活動のあいだに会社の先制攻撃をうける可能性が大きくなってしまうからです。
 そしてまた、組合づくりのチャンスというものは、会社の方でつくってくれる(賃さげや解雇などで)こともあるわけですが、基本としては、準備活動のなかで自分たちの手でつくりあげるものです。

はじめる基本は、一、二名から出発すること。準備活動の開始は少人数ほどよい

 組合づくりの相談で上部団体の人をよぶ以上は、多数のなかまをあつめなければわるいだろうとか、せっかくの話を聞くのだからおおぜいのなかまに聞かせようとか、数人から一〇人ぐらいあつめないと準備活動にならないのではないか、など、よくぶつかる意見です。

 二人、三人でやけ酒をあおりながら、「うちの会社のやつらはばらばらでだめだ」とか「骨のある奴がいない」とか、かってな熱をあげている情景もよ くあることですが、これはナンセンスな話です。ほんとうは、骨のある一人とか、二人のときに、上部団体の専門家と相談し、作戦をたてどのようにすすめるか を診断することこそ最良の道なのです。 

 
人数の拡大のやり方

 一人か二人のうちに組合のオルグ(上部団体の組織者)と相談するのが第一段階。確実な手のまわし方で四〜五人にして第二段階。そのうえで十分な相 談により一〇人前後にして第三段階、あとは旗あげと同時に、のこり全員に拡大する……というように、メリハリをはっきりとさせたすすめ方がたいせつで、ず るずると拡大させては危険がともないます。

 
「組合経験者」の知識を過信するのは危険!

 よくぶつかる問題の一つに、「組合経験者」の問題があります。組合経験があるというので、なかまたちからあてにされてこまっている経験者によくぶつかります。

 経験者には申しわけない表現になりますが、組合づくりの仕事は労働組合活動全般のなかでも一つの特別な分野であって、ふつうの、すでにできあがっている組合活動の経験ではほとんどといってよいほどつぶしがききません。
 組合づくりにはそれほど特別の知識が必要なのです。経験者で通用するというのは、「組合づくりの中心に」になってやったことのある人の場合です。

第二章 準備会活動のすすめかた

いそがば、まわれ!

 「組合結成(旗あげ)」は、未組織のなかまの夢の実現ですから、組合づくりにとりかかるやいなや、はやくやりたい、いそぎたい、と思うのは自然の人情です。

 しかし、長年、組合づくりを経験した側からいわせてもらえば、組合の旗あげというものはだいたい「いつでもできる」ものなのです。一見ばらばらな 状態であっても、いっせいにみんなによびかければ、じつはみんなが内心では期待しているわけですから、大部分は即座に加入申込書に署名してくれるもので す。これは長年の経験から断言できることです。
 問題は、旗あげのあとにあるのです。準備が不十分だと会社があの手この手で弾圧や買収にのりだしてきた場合に、インスタントの弱点をさらけだしてしまうのです。
たいせつなことは、旗あげのあと会社のどんな攻撃があってもびくともしない体制をつくりあげることであり、そのような十分すぎるほどの準備による完璧にち かい体制をつくってしまえば、会社につけいるすきをあたえず、攻撃を未然に防止し、組合つぶしの野望を未然にくじくことになるわけです。
 事実、経験から明言できるのは準備を十分やった場合は旗あげ直後の攻撃をうけていません。

徹底した極秘の非公然活動

 準備期間中は普通程度の秘密活動でなく、徹底的で、思いきった極秘を、準備会メンバーがおたがいにまもりぬくことを厳重に実行しぬくのです。

 酒をのむと口がかるくなるなかまは、ざんねんながらメンバーにいれないとか、ある時期までは家族にもけっしてしゃべらない……というくらい徹底した極秘をまもりあうのです。
 これは、会社側に「ぜったい」に秘密がもれない、もらさないという一点をまもりきるためにおこなうのです。そのためには、ふつうの秘密ではぜんぜんたり ません。ふつう程度の秘密というやつは、「秘密だから」というので、いっそうひそひそ話でいつのまにかひろがってしまうものです。
 徹底した極秘体制があれば、万が一にもれたとしても、もれたルートがわかるし、対策がたてられるわけです。
 組合づくりは、旗あげの最後の瞬間まで、極秘をまもりきることがなによりもたいせつです。

準備活動で「落第」するようでは旗あげは無理! 苦痛でしんどい肩がこる準備活動こそ旗揚げの資格

何カ月もの期間、徹底した極秘活動をつづけるというのは、なみたいていのことではありません。
 最低でも週一回、きめられた日と時間と場所に、人目をしのんで、きちんとあつまり秘密の会議を、きちん、きちんとつづけるというのは、そうとうにきびしい活動です。
 しんけんさと実行力と忍耐力を必要とするこの準備活動をみごとにのりきれるようならば、たいがいの資本家の悪質な策略や攻撃を未然にふせぐこともでき、効果的に確実に対抗できるといえます。
 ぎゃくに、準備活動のなかでたえられなくなったり、旗あげにばかりあせったりするようでは、旗あげ後の資本家側とのきりむすびで落第することがあきらか であり、旗あげをいそいであせれば、あせるほど、上部団体の指導としては旗あげにふみきれない、という皮肉な結果となってしまいます。

準備会活動の重点的な内容−−最低これだけはマスターすること

 
 �労働組合の基本的な知識を吸収する

  イ、労働基準法、労働組合法
  ロ、上部団体にはいる場合は、上部団体の規約や運動方針
  ハ、組合づくりの経験。とくに組合つぶしの攻撃の手口とこれにたいするたたかい方
 これらを上部団体のオルグを講師にしたり、自分たちで独自に順序だてて勉強します。
 �その会社・経営のいっさいの知識、就業規則など

 その会社のなかではたらいていても、あんがい、自分のもち場以外の知識はうといものです。とりわけ上部団体のオルグにはまったく未知の世界ですか ら、準備会のメンバーが先生になってオルグにおしえこみ、同時に準備会メンバーも案外、社内の問題を知らないことがおおいわけですから、秘密のうちに調査 活動を活発にやって、みんなで会社の内情や職場の問題や、労働者の要求を準備会で総合的にしらべぬくのです。
 また会社の就業規則を研究することと、実際上の基準法違反事項の調査もかかすことができません。
 �準備会の組織活動

 準備会は会社ではたらいている全労働者を対象に調査をすすめ、会社の部・課・係ごとに検討し、勤続年数がふるく下級職制でもあり、みんなの信望が あって、そして会社に対抗してくれる正義感のつよい人物をさがすとか、準備会メンバーがかたよった職場におおい場合は、準備会が会社の全域にひろげられる ようどう接触したらよいか、などを検討します。
 そういう場合のためにも、とくに準備期間中でたいせつなことは、準備会そのものは「徹底した極秘」活動ですが、しかし同時に、可能性を最大限にいかした 「公然活動」を考える必要があるのです。極秘と公然は矛盾するようですが、この両面のつかいわけは組合のオルグとも十分相談して実行することによって、極 秘一本槍のやり方ではとてもつかめない人材や、組合づくりへの飛躍的な職場の条件をつくりあげることができるようになるのです。
 たとえば、会社がやっている野球とか旅行とか、お花とかのサークルに積極的に参加して多数のなかまとつきあえるようにするとか、会社のなにかの親睦会が あるときは、条件さえあればその役員となり、親睦会としての活動を積極的にやって親睦会をみんなにちかづけるとともに、公然とみんなと接近して、準備会メ ンバーにふさわしい人材をみつけだすようにするのです。
一見すると、たいへん遠まわりするようにみえますが、「いそがばまわれ」で、職場のなかの、まだ組合づくりの意識ではおくれている多数のなかまたちを自然 に成長させ、すすんだ意識の準備会メンバーにちかづける早道となるのです。ですから、親睦会がない場合に、組合づくりのためにわざわざ親睦会を結成する ケースもあるわけです。
 いずれにせよ、すすんだ意識の一部の人人だけの組合づくりなら、あしたからでも旗あげできますが、職場の大多数、約八割以上を組織する目標をたてるな ら、それだけの準備が必要だし、悪らつな資本家ときちんと対抗していくのには、この程度の高等戦術を卒業することも必要なのです。

 �準備会のなかま同士の強固な信頼関係をつくる

 準備会のメンバーは、旗あげと同時に、ほとんどは組合の執行部となるはずです。ですから準備会は、たんに組合づくりの準備会というだけでなく、組合執行部の準備会でもあります。

 それだけに準備期間中に、真の信頼関係(真の団結)をつくりあげないと、旗あげ後の、資本家家とのきびしい対抗関係のなかで多数の組合員を確固として指導しぬくことはできません。
 真の信頼関係とは、準備会のなかま同士でなんカ月かともに苦労しあうだけではまだたりません。準備会の期間中に、おたがいの腹のなかをぶちあけあってつくりあげるものです。
 準備期間というものは、この信頼関係をつくるためにあるといっても過言ではありません。

 
 �上部団体オルグ・地域のなかまとの交流・信頼関係

 将来にわたって指導の責任をおう上部団体の立場からいえば、上部団体のオルグは準備会の出発の時点から参加して、さいしょから相談し作戦をたてることがのぞましいです。

 また、第二に組合オルグはその上部団体の代表であり、上部団体の顔です。このオルグと準備会メンバーとはかたちだけのつきあいであってはなりませ ん。オルグをつうじて上部団体の性格や運動の仕方や指導方針を理解してもらうのですから、双方とも真剣勝負でなければなりません。
 おれたちは組合のことは知らないが、オルグは専門家なのだからということで、オルグのいいなりになってはいけません。オルグは組合では専門ですが、職場の人のことや実状についてはずぶのしろうとであることをわすれてはいけません 。
 へんだなとか、妙だなと感じたことは、かならず質問してたしかめることがたいせつです。そして質問して納得できる回答がえられるかどうかがまただいじです。納得がいかないときは、おそらくオルグの方になんらかのあやまりか勘ちがいがあるのです。
 勘ちがいのまま作戦をたてたのでは、たいへん危険です。
 第三に、準備会活動のうちから、地域の労働組合のなかまと積極的に交流し、信頼関係をつくりあげること。実際の組合づくりの経験にまなぶことが重要です。
 �要求づくり

 さて、準備会活動が最終段階にはいったら、要求づくりのばんです。経営者側からうけた長年の抑圧や酷使、つもりつもった不平・不満があるだけに、あれもこれもととにかく山のように要求がでてきます。
 しかし、公然化した当初は「すべての要求実現を」とはやる気持ちはできるだけおさえ、みんなが一致して頑強にたたかえる要求にしぼることです。同時に、公然化にともなう組合の基本的権利(組合事務所、電話、掲示板、時間内の組合活動の自由など)を重視します。

 つまり、公然化のあと、比較的はやいうちに確実に成果をあげ、なかまの志気と団結をいっそう高める観点から、要求を整理するわけです。

第三章 いよいよ旗あげへ

準備会活動の「完了」の指標

�準備会のメンバーが組合づくりに確信をもち、志気が高まっていること

�全労働者を結集できる要求が確立していること
�準備会が会社の状態、労働者全体の状態をしっかりとつかみ、会社の拠点職場に準備会の力が浸透していること
�全労働者の七〜八割以上の組織化を展望できること
�オルグ・地域のなかまとの信頼関係が確立しえること。

 一般的にいって、以上の五点で合格すれば、あとは旗あげの期日を決定することになります。「準備完了」の判断は、ふつうは経験のある上部団体が決断することになります。

準備会メンバーの最終的な人数

 準備会の人数は当然、ケースバイケースですが、旗あげ直前の最終段階であっても、あくまでもかたいなかまにかぎっておいて、「自然的」に膨張させ ることはいましめます。なぜなら、なんカ月も秘密活動をつづけてきたのに、旗あげの直前まできて会社の察知され先制攻撃をうけ、せっかくの努力をだいなし にされるおそれがあるからです。

 準備会の人数は、場合によりけりですが、全労働者一〇〇人程度なら一五〜二五人ぐらい、五〇人程度なら一〇〜二〇人程度で十分です。
 最終段階の準備会で、最終的に旗あげ直前にはたらきかける相手をきめ、だれが話をするかの分断をきめる以外は、さいごのさいごまで極秘をおしとおすことです。

旗あげの一般的なやり方
1、朝の準備

 前日のさいごの準備会で十分相談して、準備会メンバー各自の当日の分担を明確にし、加入申込書と規約と、準備会で独自に用意した「よびかけ文」を各自の枚数に分けて、当日の朝、それをもって、いつものようになに気なく出勤します。
2、加入のいっせいよびかけ

 昼食時間、はやめに昼食をとり、きめたとおり一二時一〇分からいっせいに行動開始。会社のえらい人がいようがいまいが、みんなに公然と組合加入を よびかけます。こういうときは、こそこそやっていてはだめで、みんなの加入の決意もにぶるとことになります。ふだん、みんなから信頼されている人がよびか けていれば、ほとんど全員が加入してくれるものです。それで、どんどん加入申込書に記入してもらうのです。
3、外から上部団体役員が

 一二時二〇分ごろ、これも前日の決定時刻に、そとから上部団体の幹部が会社の門に到着します。準備会の責任者(分会長)がまちかまえていて、会社 の責任者がいる場所へ直行します。会社の責任者に自己紹介のあと、あらかじめ用意された「組合(分会)公然化の通告書」を手わたし、組合方針もふくめ上部 団体幹部から説明します。
4、執行部は交渉参加

 職場のなかまたちに加入申込書へ記入してもらい、自分の分担をおわった執行部のメンバーは記入ずみの加入申込書をもって、会社と組合代表が交渉している場所にかけつけてきて参加してもらいます。
 執行部はあらかじめ準備会で決定し、当日の「公然化通告書」に分会役員名を明記するので、紹介かたがた交渉に参加するのです。もっとも加入申込書の作業がうまくはかどらないなかまがいたら、交渉参加をあとまわしにしてもなん人かで手つだう必要があります。
5、交渉の主眼は団体交渉の確約

 このさいしょの交渉は、会社とはじめての顔あわせなので、要求項目は第二回交渉にまわし、第二回団体交渉の日時・場所の確約をとりつけることと不当労働行為の説明におくのがふつうです。
 もちろん、切迫した事情があるときはべつです。
6、第一回交渉内容

 主眼は次回交渉の確約ですが、初対面のこの交渉で、組合の基本方針、すなわち会社が組合づくりにたいして弾圧やきりくずしでのぞんできた場合はや むなくとことんまで自衛上「喧嘩」となるが、会社が紳士的に交渉に応じるかぎり、組合もあくまで紳士的に道理をつくす組合活動をおこなうことを約束し、よ うは会社の出方いかんであることを理解させます。
 また、当座の労資関係のすべてについて、支部担当者が分会長と連絡をとること、ただし組合側は上部団体をふくめて一人だけではけっして話しあわないことになっていること、を理解させます。
 もう一つ、労働組合法第七条の「不当労働行為」を説明し、どんな小さな不法行為であっても、対抗上、自衛上、組合は「実力」による反撃にでることを理解させます。
 だいじな点は、つぎの団体交渉まで組合にかんするいっさいの行動は分会役員にたいする質問や連絡以外はけっして個個の組合員などに接触してはならないことを理解させることです。
7、第一回交渉の所要時間

 この交渉のおよその時間は、このときの会社の態度しだいできまりますが、だいたいは「不意打ち」なので、会社はびっくりしたまま受け身になり、聞き役にまわるのがふつうですから、最低三〇分からながくても一時間程度でおわります。

 それで交渉のさいごに、当日の終業時刻から全員による分会大会の開催を通告し、大会の会場として会社の食堂なり会議室をつかうことを通告します。それは許可をもとめるのではなく、「通告」するのです。

 組合は基本として、会社と対等の資格をもつ団体として、会社の許可や承認で動くのではなく、必要最小限の判断として、やるべき行動は会社が反対しても断固やることです。
8、第一回大会(公然化大会)

 終業時間から全員にあつまってもらい、公然化直後の第一回大会を開催し、準備会であらかじめ詳細に用意された段どりで、司会者が一言あいさつし て、大会の議長と書記(議事録作成)を選出し、議長の議事進行により、準備会代表(分会長)があいさつと経過報告をおこない、ついで上部団体役員が労働組 合の話と当面の心得をわかりやすく話し、議題にはいって、まず準備会代表から要求項目と当面の要求事項の提案、組合費額の提案、そして分会役員の選出とな ります。
 議長は、議題ごとに質問や意見をとり、一つ、一つの挙手の採決で決定してもらいます。
 なお、役員選出ですが、準備会で十分相談して執行部と会計監査を推せんするようにして、さいしょの大会ですから全員にはかったうえで、全員の拍手で決定するやり方をほとんどの場合採用しています。
 この公然化大会でいちばん重要なのは、全組合員の当面のこころがまえの問題です。この点は上部団体幹部もふくめて、不当労働行為とのたたかいの問題として、みんなに武装してもらうことです。
 公然化の仕方には、状態に応じて公然化前日に結成大会をひらくなど、おおくの方法があります。それらはオルグや上級機関の判断にもとづくのが最善でしょう。

第4章 公然化直後のポイント

 職場の多数のなかまたちは、この執行部についていってはたしてよいのかどうかをみまもっており、執行部に自信があるのかどうかを執行部の態度・口のきき方・顔色をみて判断しようとしています。執行部についていくか、会社の方についていくか、を判断されるわけです。

 いままでの経験からいえることは、公然化直後の執行部が十分な準備活動で自信をもって指導すれば、かならずみんながついてきてくれるということです。逆に執行部のもたつきと動揺は全体の動揺となってあらわれるわけです。
 みんなが執行部と会社とのあいだで様子をみることを卑怯とみる味方もありますが、労働組合としては、」多数の労働者のこのような判断の仕方、わるい表現 でいうと、打算的な立場というものは、とうぜんのことであるとみなければなりません。労働組合はあくまでも大衆運動だからです。
 けっきょくは、組合運動は要求で団結することが基礎ですが、その団結を保証するのは確信ある執行部の指導です。
会社の弾圧や組合つぶしは一挙に組合を有利にする

 組合をつくられて頭にきた会社があわてて法律違反の不当労働行為をやってきたら、まっていましたとばかり、これを逆手にとって組合の有利な状態へ転化させることがたいせつです。

 自信のある会社は組合から逆手にとられるようなへまなまねはしないものです。自信のない会社がやみくもに弾圧や買収に走るわけですから、組合側はテープレコーダーなどの効果的な武器などもつかって逆用すればよいのです。
 執行部が会社の弾圧の見せかけの凶暴性におそれをなしたり、動揺したりすれば、会社のねらいどおり、組織全体が一挙に混乱します。
 大切なことは、会社側がへたなちょっかいを出したらすぐ上部団体に連絡できて逆用できる体制ができるかどうかということです。
首切りなんてちっとも怖くない

 だいたい労働組合に関連して、「解雇その他不利益な取り扱いをしてはならない」と労組法に明記してあるのですから、会社がどんな口実をつけて弾圧 してもすべて法律違反ですから、たたかえばかならずかつわけです。従って、組合づくりで会社が解雇など報復的なことをやったら逆にしめたということになり ます。

 いちばん気をつけなければならないのは、一人だけよばれて、なんだかんだといわれて、「退職届け」を書かされ、押印させられることです。いったん 退職届がでてしまうとむずかしくなります。会社があくまでかいこするというのなら、その理由を質し、「役員と相談して返答します」とあくまでも即答をさけ るのがだいじです。
第5章 オルグの心得

 いま、日本の労働組合運動は危機的な状況にあるといわれています。賃金、労働条件の引き上げについては、資本と対等にわたりあう力をうしなってい るばかりか、バブル崩壊を口実にした大量の首切り「合理化」攻撃の前で、労働者の雇用をまもるという最低限の役割すら、多くの労働組合は放棄しているから です。

 大企業の本工労働組合は、資本の首切り「合理化」、権利侵害攻撃を労働組合みずから代行する別働隊の役割さえはたしてい留、と批判する声さえあります。
 「労働者一人一人はよわいからこそ、団結してたたかう」という労働組合の原点をわすれて、よわい立場の労働者や組合に組織されていない下請け・パート・ 臨時労働者に、そして地域社会に犠牲を押しつけ、その踏み台にたって企業と一体に生き延びようとするかれらが、いまは「主流」を名のろうとも、初戦は大多 数の労働者・国民から孤立して没落するのは歴史の必然といえます。
労組の力量強化が求められている

 しかし、そうはいっても、たたかう労働組合運動の力をどうやってつよめていくかという、みずからの努力ぬきに歴史の発展はありえません。まして、 自衛隊の海外派兵を突破口に、憲法改悪をねらい、政府・独占資本が日本の労働者・国民の生活と権利・民主主義そのものをうばおうとしているいまこそ、たた かう労働組合の真価がとわれているのです。

 日本の労働運動をたてなおし、新生させようとおおくの労働組合がいま奮斗しています。
 そのなかでわたしたちにとくにもとめられているのは、組織を飛躍的に拡大し、社会的影響力をいっそうつよめていくことです。わたしたちは、従来の労働組 合の弱点を克服した産業別労働組合運動を進める名kで、業種別交渉権渡島いつ労働条件の確率、家族ぐるみの運動、権利侵害には一歩もひかない運動をはじ め、各界から注目される活動をすすめてきました。この運動をさらに発展させるためには、「数は力」といわれるとおり、組織拡大に積極的に取り組む必要があ るのです。
 あたらしく加入したなかまも、そしてすでに加入し公然化しているなかまも、「要求実現の早道は組織拡大から」を合い言葉に、一人一人がオルガナイザー(組織者)となって、未組織のなかまにはたらきかけましょう。
要求実現の早道は組織拡大にある

 なかまをふやす活動は、とくにむずかしいものではありません。だいじなのは、「なかまをふやすことが、みずからの労働条件向上の最大の力」という原点に、たえずたちつづける姿勢をわすれないことです。

よくみられるのは、自分の企業のなかだけでものごとをみようとする考え方です。これでは、社長が「もうかっていないから賃あげはこれだけ」といわれて、ぐうの音もでません。また、「地域の同業他社はもっと低い」といわれたときも、言葉につまってしまうでしょう。
 地域全体の同業他社も、足なみそろえて賃金・労働条件引き上げをはからなくてはならないような運動をすすめるには、まわり道に見えても組織を拡大し、職場の要求を産業別統一斗争にむすびつけることが決め手となるのです。
未組織のなかまの状態をたえず調査すること

 未組織のなかまとつながりをもつためには、ビラまき、立て看板、家庭訪問、工場・職場訪問などさまざまな手段がありますが、出発点となるのは、その地域・業種の情勢をたえず分析することです。

 なかまがどのような職場環境・労働条件で働かされているのか。どんな要求・悩みをもっているのか。それをそれぞれの未組織の職場に即してつかむのです。このために地域の企業・産業の動向をしらべることもわすれてはなりません。
 組合づくりを訴えるにしても、未組織のなかまの腹の底の気持ちや要求にぴったりこない、まとはずれな働きかけでは、労おおくして成果はすくないとなりがちです。
「口は小さく、耳は大きくが信頼関係をうむ

 さて、未組織のなかまとつながりができました。個個で、大事なのは、あなたや組合の活動をほこらしげにしゃべることや、「組合とはこういうものだ」とお説教をすることではありません。

 「この人間は、おれの悩みや要求をほんとうにわかってくれるだろうか」−−。未組織のなかまは、あなたをまず、こんな目でみています。それもとう ぜん、いままではなに一つ人間関係がないのですから。だから、あなたの仕事は、まず徹底的に、そしてそのなかまの立場に立って、悩みや要求に耳をかたむけ ることからはじまるのです。
 おなじ労働者なんだという信頼関係をつくることが第一歩。そこから、要求が整理され、たたかいに立ち上がるなかまのエネルギーをひきだすつぎの仕事がはじまるのです。
安易な請負は禁物

 組合づくりのすべての段階を通じて、「請負主義」は禁物です。

 準備会活動のときも、公然化後も、とにかくあなたはたよられることがおおいでしょう。そしてそれは、「きもちのいい」ことです。
 しかし、調子にのって「すべておれにまかせとけ」といった請負主義は、けっきょくのところ、そのなかまたちの「一人だち」をさまたげる結果しかうみません。
 つねにわすれてはならないのは、「組合づくりの主人公は、未組織の仲間自身だ」ということです。なかまがみずからの力で立ち上がること。はじめて社長ら 会社と対決すること、職場のなかまの団結にあれこれ苦労してみること、一つ一つの成果が自分たち自身の活動で勝ち取ったものだと確信すること−−これらの 道筋を指導・援助するのがオルグや地域のなかまの役割なのです。
 「労働組合に加入するのは、労働者の人間としての自立宣言」と労働運動の大先輩たちはおしえています。そしてオルグはつぎには、団結することで自分たちの偉大な力を発見し、確信したなかまに、「こんどはみなさんがあたらしいなかまをふやす番だよ」と助言することです。

《番外証言》


全共闘時代用語の基礎知識

《番外証言》



●党派別機動隊への対応

 機動隊との闘争では、明確に各党派の性格が出ていました。革共同は、決めたら必ず隊列ごとぶつかる。青解は、全体はひ弱ですぐ引くが、何人かは根性があって、機動隊の真ん中で一人でゲバ棒を振り回し玉砕する。ブントは、勝てれば調子に乗るが負けそうだとあっという間にいなくなる。構解派は、平和デモしかしないと思われていたので、泉岳寺駅でフロントが火炎瓶を投げたときはビックリしたものです。(イワン)
●バリケードの中で歌った替え唄

 当時、バリケードの中では、よく替え唄を歌った。「練鑑(ねりかん)ブルース」もお馴染であったが、まともに歌えないが、確か、以下のような感じであった。題名及び作者は不明。(=風太郎)

※「網走番外地」の節で

ポリに ポリに追われし この神田
ゲバやれ ゲバやれ ゲバぐれて
どうせ 俺らの 行く先は
その名も 警視庁公安課

 これに関して孫引きになるが、『その時日本は』(NHK出版)の第三巻によると、野次馬旅団編著『戯歌番外地』という本の中に以下のような替え唄もあるという。

ポリにポリに追われし全共闘
デモすりゃ殴られパクられて
どうせ俺らの行く先は
その名も東京警視庁

 また、ほかに、以下のような替え唄も寄せられている。

※ある人が、ブントの友人から聞いた替え唄

僕の好きなブントは 一日一度
ゲバルトしなきゃ 眠れない
赤坂見附で アメタイ突入
青山通りで 防衛庁
これが僕の 夢なのさ
ブントブントブント ブントブントブント
あこがれのブント

 さらに、中大には、こんな替え唄もあったというが……。残念ながら、僕はまったく覚えてません。すみません。

※「練鑑ブルース」の節で。ちなみに練鑑とは、練馬少年鑑別所のことである。

♪身から出ました錆ゆえに
  中央は法科に落ちぶれて
よせばいいのにデモ暮らし
  落ち行く先は全中闘

ガリ切り3年アジ1年
  やっとダラ幹になったけど
・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・(不明)

右におわすは委員長
  左におわすは書記長で
次から次へと査問され
  泣く泣く書いた自己批判♪

●「とめてくれるな」のポスター

 1968年の東大五月祭のポスターが、有名な「とめてくれるな おっかさん 背中でいちょうが泣いている」(正式な表記は不詳)だった。確か白地の画用紙に、高倉健さんが背中を見せて「見返り美男(?)」をしている。その背中の彫り物がイチョウだった。「背中」の文字には「せな」というルビが振ってあったように思う。このコピーは『桃尻娘』の作者である橋本治の作であるというが……。あのポスターをもう一度見たい。(=風太郎)
【補足】
 東大五月祭(本郷)ではなく、1968年11月に行なわれた第十九回東大駒場祭のようだ。この駒場祭は、生憎、東大が当時、無期限全面ストに突入していたため、大学当局が経費を出さず、自主管理となった。
 また、正しい台詞は、

とめてくれるな
  おっかさん
背中のいちょうが
  泣いている
    男東大どこへ行く

 だったようだ。当時、文科II類に在学中の作家・橋本治(二十歳)が、このポスターを描いたという。僕が見たポスターは、中央大学の学生会館前に張り出されていたもので、写真の印象とは、ちょっと違っていた記憶がある。(=風太郎)
●学生生活におけるコンドーム

 ものの本によると、コンドームの自販機が最初にあらわれたのは、1969年の6月だという。しかし、確か、1969年の秋頃には、早稲田大学の生協でコンドームをはじめて売りに出したというニュースもあった。同棲時代、神田川的男女の結びつきのはじまりが原因だと思う(=風太郎)

69年6月ではありません。59年の誤りではないでしょうか。
少なくとも65年頃、新橋の薬屋(バンビ)で、自販機を現認しております。
中学1年のころ(60年)、渋谷に自販機があるという話がありましたが、どこかは分かりませんでした。当時は1個10円でした。(=イワン)
●タオルの覆面について

 全共闘スタイルといえば、ヘルメットにタオルで覆面、軍手をした片手にゲバ棒というのが、今では通り相場になっている。しかし、記憶ではこのタオルで覆面というのは、かなり後になってからのような感じを持っていた。
 が、日大闘争の写真集などを見ると、日大では当初から、タオル覆面をする学生がいたようである。しかし、それでも全員が全員というわけではなく、だいたい半数くらいのものであった。
 僕はもともとノンセクトであったから、覆面なんてしなかった。あれはあまりいいものではないし、ごりごりの活動家ではないから、顔なんか公安に見られたって、いいじゃないかというような頭もあった。
 デモに出る全員がタオルで覆面をするようになったのは、やっぱり全共闘運動後期の成田闘争からではないだろうか。(=風太郎)
●ビートたけしの証言

「当時の新左翼の学生運動というのは、基本的に新興宗教の若い奴の勧誘と変わってないんだよ。入ってみると、雰囲気もいいし、居心地がいい。いつもみんなと一緒。
 友達ができるみたいな感じで、そこへ行きゃ誰かいるし、お茶でも飲んで、アメリカ帝国主義がどうしたこうしたという話をしていると一日過ごせる。地方から東京の大学へ出てきた孤立感とか、まるでなくなるんだ」(『たけしの20世紀日本史』 新潮社)
●ヤクザ映画

 なぜかしら新左翼学生たちは、ヤクザ映画をよく観た。とくに高倉健さんの網走番外地シリーズは、必見であった。誰からも支援を受けず、たった一人で大勢の敵に突っ込んでいく様は、まさにゲバルトを想起させたのだろう。また、政治的暴力やテロルといったものと、当時のヤクザ映画の描き方の間に共通性があったのかもしれない。

【わ行】

全共闘時代用語の基礎知識

【わ行】



私の詩集【わたしのししゅう】〔名詞〕
68年頃から、新宿駅の西口広場、あるいは新宿駅東口構内で「私の詩集を買って下さい」という看板を持ち、柱のそばに突っ立って、自分の作った詩集を立ち売りする若者が増えた。多くはガリ版刷りであり、定価はだいたい100円~300円程度であったと思う。ちなみに、当時、中央大学の学食では、素うどんが40円~60円前後であった。
内容的には、驚くほどのものは少なかったが、何となく記憶に残るフレーズが今でも思い出される。全共闘運動を一つの自己表現手段としてとらえるなら、そうした社会の趨勢に喚起された人たちが、自分の現場で自己表現をしはじめたということになるのだろうか。このターミナル駅などで、自分の作った詩集を売るという現象は、今でも同じ場所で続いている。
※写真は、左が真岐ユーミンさんの「私の詩集6 《まるい斜面》」(70・6・15発行)。右が太田空さんの「踏み絵」。

わだつみの像【わだつみのぞう】〔固有名詞〕
1969年5月20日、立命館大学の構内にあった「わだつみの像」が破壊されているのが発見された。「わだつみの像」は、戦没学生の手記を集めた『きけわだつみの声』の出版を記念し、平和と民主主義のシンボルとして建設されたものである。
同像は当初、東京大学に建てられる予定だったが、反対にあい、当時立命館大学の総長だった末川博がこれを引き受け、同大学に建設された。しかし、1968年の学園闘争で、その末川総長が全共闘学生に対して機動隊を導入し排除行動に出たため、似非民主主義の象徴であるとして、反日共系学生たちが、この像を破壊した。
【証言】「二度目の機動隊導入がもたらされ、わだつみの像は自ら倒れたのである。……平和と民主主義は、もしも、その内部から自己革新しえないのであるならば、ふりつけられたピエロの役割を峻厳に拒まねばならない」(立命館大学全共闘機関紙『コンテスタシオン』より)

ワルシャワ労働歌【わるしゃわろうどうか】〔固有名詞〕
反日共系学生が集会の折に団結を深めるために歌った労働歌の一つ。

《ワルシャワ労働歌》
(築きかためよ 勇ましく)
暴虐の雲 光をおおい 敵の嵐は荒れ狂う
ひるまず進め我らが友よ 敵の鉄鎖をうち砕け
自由の火柱輝やかしく 頭上高く燃えたちぬ
いまや最後のたたかいに 勝利の旗はひらめかん
立てはらからよ行け戦いに 聖なる血にまみれよ
とりでの上にわれらが世界 築きかためよ勇ましく

※()内は、そのようなかけ声のイントロがあった記憶があるので、追加した。
 歌の題名については、「ワルシャワ労働歌」以外に、「ワルシャワ労働者の歌」という題名もある。
 また、「ひるまず進め我らが友よ」の部分は、「ひるまず進め我らの友よ」という歌詞になっている場合もある。さらに、この部分には、「死を待つなかれ我らの友よ」という訳詞もある。
 さらに、「とりでの上にわれらが世界」の部分は、「とりでの上にわれらの世界」ともいう。この部分にも「とりでの上に新たな世界」という訳詞もある。


【ら行】

全共闘時代用語の基礎知識

【ら行】


ラーメンライス【らーめんらいす】〔名詞〕
金がなかった学生が常食したメニュー。ライスの上にインスタントラーメンをぶちまけて食べる。あるいは、ラーメンをおかずにライスを食べる。仕送りがくると、ラーメンを箱ごと買って、一ヵ月を暮らすものもいた。

ラリ-る【らり-る】〔動詞〕
シンナーやハイミナールを服用すると、舌が回転しなくなるため、「らりるれろ」がまともに発音できなくなる。その状態を「ラリる」といった。

乱闘服【らんとうふく】〔名詞〕
機動隊が出動した際に着る服のこと。正式名称ではなく、通称のようだ。全身群青色で、衝撃から防御するため服の各所に鉄の板のようなものが入っていたため、機動隊はふくらスズメのようになった。かなり重い装備のようであった。

理論武装【りろんぶそう】〔名詞〕
武器で武装するだけでなく、理論もしっかり身につけておくこと。「○○は読んだか」「おめえ、○○を読んでないだろう」などとうるさくいわれた。読もうと読むまいと、カラスの勝手などといえない人間が多かったのだろう。

ルンプロ【るんぷろ】〔名詞〕
ルンペン・プロレタリアートの略。労働組合などに入って労働運動をするのではなく、居場所もなくうろついているが、行動だけは過激になるという労働者あるいは学生のこと。

礫川公園【れきせんこうえん】〔固有名詞〕
革マル派などがデモに出動する際に、よく集合場所として使用された公園。

レジュメ【れじゅめ】〔名詞〕
ドイツ語で「要約」「梗概」「概論」のこと。【例文】「レジュメを切る」

レボルト社【れぼるとしゃ】〔組織〕
ゲバリスタと自称した太田竜が、映画評論家の松田政男や山口健二らと結成した革命組織。

連合赤軍【れんごうせきぐん】〔組織〕
赤軍派はもともと共産同内の一派閥であったが、大菩薩峠事件以後、幹部など多数が逮捕され、体力の弱った。そこで、京浜安保共闘と連合し、連合赤軍を形成した。P(Person)B(Bomb)M(Money)作戦を展開し、武器と資金を手に入れたが、山岳アジトに立て篭るうちに、参加者たちを早急に革命家として教育しようとして、自己批判と総括を迫り14人のメンバーを惨殺した。また昭和47年2月には、軽井沢のあさま山荘に立て篭り、管理人を人質にとって銃撃戦を展開した。幹部の森恒夫は48年1月1日に東京拘置所内で自殺した。

連赤【れんせき】〔固有名詞〕
連合赤軍の略称。(例:連赤事件)

六・一五【ろくいちご】〔名詞〕
六月十五日のこと。「ろくてんいちごー」とも読む。60年安保闘争で、国会に突入し、樺美智子さんが亡くなった日を記念して、この日には反安保集会が開かれるのが常だった。

六全協【ろくぜんきょう】〔固有名詞〕
1955年7月に開かれた日本共産党の第六回全国協議会のこと。ここで、共産党がそれまでの山村工作隊(さんそんこうさくたい)など武装闘争方針を穏健な議会主義に転換した。それまで共産党の指導のもと、共産党の方針を信奉してきた学生活動家たちは、大打撃を受け、離党したり、反日共系の組織を結成するなど、分裂していった。倉橋由美子の『パルタイ』、柴田翔の『されど われらが日々――』などの小説は、この当時の学生たちの動きやショックを題材にしている。

ロックアウト【ろっくあうと】〔名詞〕
学生のバリケード封鎖を機動隊の導入によって解除した後、大学当局が大学構内に学生の立ち入りを禁止するために封鎖処置を行なうこと。

【や行】

全共闘時代用語の基礎知識

【や行】



野音【やおん】〔固有名詞〕
日比谷野外音楽堂の略称。6・15など国会周辺で全共闘の集会が開かれるときは、大抵、野音が使用された。

山崎博昭【やまざき・ひろあき】〔人名〕
昭和42年10月8日、佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止しようと全学連が羽田付近で行動を起した際、京大生の山崎博昭君(18歳)が死亡した。学生運動で死亡者が出たのは、1960年6月15日の安保反対闘争における樺美智子さんに次いで二人目となっている。その死因については、いまだ謎が多い。当初、「山崎君は頭とアゴの骨が砕けており、全身にスリ傷がある。病院に運ばれたときは、まだ生きていたが、人工呼吸をしている最中に死んだ」という牧田病院の院長の談話であった。ところが、その後の報道で、「八日の検視の結果、死因は胸部ざ滅、胸腹部内臓損傷らしいといっている。同鑑識課で調べたところ、右ホオの骨折のほか、胸と鼻の不完全骨折、右肩から前胸部にかけてタイヤでひかれたと思われる長さ二十センチ、幅十センチのすりむいたあとがあったという」(毎日新聞)という具合に変化した。警察側は、学生が警備車を奪ってバックさせた際に轢き殺したと主張したが、学生側は警官の警棒による殴打が死因であるとして争った。が、警棒で殴られて倒れたあとに警備車に轢かれたのではないかという意見も出た。
なお同年10月17日に同志社大学教授鶴見俊輔氏が発起人となって、日比谷野外音楽堂で開かれた追悼中央集会では、樺美智子さんの母親である樺光子さんが出席し、美智子さんの父親である樺俊雄さんから下記のような追悼の辞が贈られた。

山崎君の死を悼しんで
                樺 俊雄

権力者の意図が暴力的となり
暴力が暴行性の仮面をつけるとき
人民はその意図を破るときに暴力的となる
 権力者の暴力によって
 傷つき生命を絶たれた若者も
 尚暴力的だと非難されねばならぬのか
 権力者の計略が狡猾となり
 暴力者によって世論が曲られるとき 心あるものは
 立ちあがって世論を正さねばならぬ

権力者に追随するもの 権力者を倒す
ヂェスチャーを示すに過ぎぬ者 彼らの
みにくい仮面をはいだのは山崎君の死だ
権力者は 権力を持ち意図を失わぬ限り
変革者の 仮面をつけたものが闘わぬ限り
若者達が起って闘わざるを得ないだろう
 まだ次々に若者は倒れるかも知れぬ だが
 若者の流した血はベトコンの血と一体となって
 やがて 権力者を倒すだろう

山崎君の霊よ!
   その時に至るのを待って
         静かに眠りたまえ


ヤマザキ、天皇を撃て!【やまざきてんのうをうて】〔標語〕
1969年1月2日の天皇一般参賀の際、奥崎謙三(当時四十八歳)が、天皇に向かってパチンコ玉を発射して、逮捕された。合計三発が命中したが、いずれもバルコニーにあたっただけだった。ヤマザキとは、大戦中の奥崎の戦友の名前。以後、一般参賀はガラス張りのハウスに入って行なわれるようになった。

ヤング・ベ平連【やんぐ・べへいれん】〔固有名詞〕
ベ平連の中でも、反戦フォーク集会などに参加したり、集会をになってた若者たちを「ヤング・ベ平連」と呼んだ。岡林信康などはその先頭だったといっていい。

憂鬱なる党派【ゆううつなるとうは】〔固有名詞〕
高橋和巳の小説の題名。憂鬱なる党派とは、特に60年安保時代の日本共産党をさす。

吉本隆明【よしもとりゅうめい】〔人名〕
正しくは「よしもと・たかあき」だが、ほとんどの学生が「りゅうめい」と読んでいた。吉本隆明は文学評論家であるが、彼の著書は全共闘学生のバイブルのようなものであった。が、その理論は難しく、なかなか理解できなかった。やたらに文章の中にカッコが多かった。文化祭などの講演には、必ずといっていいほどお呼びがかかった。講演の最後に必ず、「みなさん、お体をお大事に」というのが口癖であった。今では、吉本ばななの父として有名になってしまった。

代々木【よよぎ】〔組織〕
日本共産党の別称。日本共産党の本部が代々木にあったことから。主に反日共系がとなえた。共産党本部の建物は中央線の線路に近接していたため、当時、日ごとに中央線に面したほうの窓を小さくし、そして、外から内部が見えないように要塞化しつつあった。代々木駅を電車で通過しながら、猟銃でも撃ち込む人間がいると思ったのであろう。《証言:当時のジョークです。「おい、日共は、なんと神社を持っているぞ」「うそだろう」「だって、代々木八幡(小田急線の駅名)っていうのがあるじゃないか」「それなら、東大だって寺を持ってるぞ」「ほんとか?」「だって東大寺ってのがある」(=風太郎)》

四トロ【よんとろ】〔組織〕
第四インター(ナショナル)の略称及び愛称。トロとは第四インターナショナルを提唱したトロツキーのことをあらわす。《参照:→第四インター》

四・二八【よんにっぱー】〔名詞〕
四月二十八日の沖縄デーのこと。「よんてんにーはち」とも読む。闘争の名称より、日付の名称のほうが記憶に残っているのはいかなることなりや?

【ま行】

全共闘時代用語の基礎知識

【ま行】



松本楼【まつもとろう】〔固有名詞〕
日比谷公園内にあるレストラン。1971年11月19日、沖縄返還協定に反対する新左翼各派一万八千人が日比谷公園で集会を開いた。機動隊は公園入り口付近に阻止線を張り、封鎖した。このため夜間になって、日比谷公園の各所で攻防戦が繰り広げられ、そのあおりで公園内にあったレストラン「松本楼」が学生により放火され、全焼した。同レストランは再建後に、焼失の日を記念して、毎年「10円カレー」を提供している。
マヌーバー【まぬーばー】〔名詞〕
マヌーバー[maneuver]とは、作戦、演習、策略のこと。
マル・エン全集【まるえんぜんしゅう】〔固有名詞〕
「マルクス・エンゲルス全集」の略称。それよりコンパクトな「マル・エン選集」というのもあった。
マル学同【まるがくどう】〔組織〕
マルクス主義学生同盟の略称。
マル経【まるけい】〔名詞〕
マルクス主義経済学の略称。今はたぶん、大学には、この分野を教える教授はほとんどなくなっているだろう。まさに化石のような分野ではないだろうか。70年前後は、大学にはかなりマル経の教授がいた。なお、マル経に対する経済学の呼称は「近経(近代経済学)」である。
マンモス交番【まんもすこうばん】〔固有名詞〕
大きな交番のこと。銀座のマンモス交番は名高いが、新宿駅西口構内にもあった。この新宿西口のマンモス交番は、何度か焼き討ちされた。
宮顕【みやけん】〔呼称〕
日本共産党の指導者の一人である宮本顕治の略称。主に反日共系が揶揄的に使用した。
《戯れ歌:「みやけん、みやけん、お馬の前で、ひらひらするのは何じゃいな」》
民ころ【みんころ】〔呼称〕
民主青年同盟員に対する新左翼系学生がとなえた蔑称。「みんころ、しゅころ、いちころ、きんちょーる、(ぶっころせ)」などという当時流行のテレビコマーシャルからの侮蔑的替え唄もあった。一方、民青のほうは新左翼系学生を「トロ」あるいは、「トロちゃん」と呼んで軽蔑していた。
民青【みんせい】〔組織〕
日本民主青年同盟の略称。日本共産党の下部学生組織。通称「日共=民青」。「日共=民青」と表記することが多かった。民青は通常、一般学生と同様のファッションをとることを信条としていたので、ほとんどヘルメットをかぶらず、ゲバ棒も持たなかった。だが、新左翼とのゲバルトのときは、やはりヘルメットをかぶったときもあった。その際は、ヘルメットの色はライトブルーか、ライトイエローが多かった。ヘルメットの横に「全学連」の黒文字があるものもあった。デモでは、機動隊とはほとんど衝突しないおとなしいものであったが、ときにフランスデモもしたようである。それで数人が逮捕されたこともあった。
民族民主統一戦線【みんぞくみんしゅとういつせんせん】〔標語〕
日本共産党の1960年代~70年代にかけての政治スローガン。70年前後の「赤旗」の題字横には、このフレーズが躍っていた。
麦社【むぎしゃ】〔組織〕
アナーキストの組織。
ムスケル【むすける】〔名詞〕
ガリ切りやビラの印刷、発送などの実務労働のこと。中には超人的な技能を持った人がいた。各党派はすでに輪転式の印刷機を持っていたが、紙は藁半紙である。印刷時には、そのしごき方が重要だが、自由に紙を操っていた。
【証言】ムスケルのプロは、いつも事務所にいた。立て看書きも仕事の内。立て看は特殊技能。私は3人を知っているが、いずれも他党派の書体に熟知し(党派ごとに書体が違っていた)、請負で他党派の立て看を書いていた者もいた。(=イワン)
メット【めっと】〔名詞〕
学生達の武装の一つであったヘルメットの略称。ヘルメットは、原則的には自党派で買ってあつらえることになっていたが、この資金は大抵の場合、各大学の自治会費から捻出していたと思われる。だが、デモのたびにヘルメットが紛失したり、消耗する。あるいは、機動隊に追われた際に、捕まるのを恐れて、道端に捨てて逃げる学生もいた。そこで、落ちているヘルメットを拾ってきたり、他党派のヘルメットを盗んだりして、自党派の色に塗り変えた。そのため、ヘルメットのペンキを削ると、何階層も違う色のペンキが出てきたこともあった。1968年にML派が大々的に(少人数のデモ隊だったが)登場したとき、彼らのヘルメットが非常に頑丈そうだったので驚いた。潤沢な活動資金があったのだろう、一個千二百円から千五百円くらい高価なものだったに違いない。ブントなどは、たぶん、一個三百円程度の安物で、かなり薄いもので、投石やゲバ棒などが当たると、すぐに壊れた。革マル派も結構高そうなのを使っていた記憶がある。ちなみに、僕は取材の際には、時折、学生新聞だが、ブル新に見間違えられるように「報道」と書いたヘルメットをかぶっていた。これはオートバイに乗るとき用で、ちょっとやそっとでは壊れない丈夫なやつだった。
《用例:「今日は、メットをかぶらないでデモに出る」》

メルクマール【めるくまーる】〔名詞〕
ドイツ語で「指標」のこと。【例文】「革命のメルクマールになった事件」

毛沢東語録【もうたくとうごろく】〔固有名詞〕
毛沢東の著書、論文、演説などを集めた本。毛沢東の論文はかなりの部分、秘書が書いたといわれるが、無論、毛沢東の確認を経て発表されているから、毛沢東自身の言葉であると解釈してもよい。ちなみに、最近では、どの論文はどの秘書が原稿を書いたかも、少しずつ明らかになりつつある。旺文社の「赤尾の豆単」に似た赤い表紙の装丁で、文庫本くらいの大きさの袖珍な本だった。当時、日本語訳版と中国語版が流通しており、中国語版を持っているものは、かなり希であった。今では古本屋でさえ日本語訳版を見つけるのは困難である。
毛単【もうたん】〔名詞〕
親中国派の間では、毛沢東語録は「毛単」と呼ばれていた。これに毛沢東選集を加え「毛単毛選(もうたんもうせん)」というのが、親中国派の定番であった。
模索舎【もさくしゃ】〔固有名詞〕
正確には「シコシコ・模索舎」。新宿にあった書店。新左翼系の雑誌、パンフレットなど、一般に流通できないような出版物の販売をしていたが、1972年7月29日、「四畳半襖の下張」の原本からの複写本百部を販売したとして、猥褻図画販売容疑で社長が逮捕された。これをポルノ退治に名を借りた思想弾圧として、書店側はベ平連の支援を受け、「叛春本退治・夏の夜に贈る四谷性談」と題した集会を開く。
本富士署【もとふじしょ】〔組織〕
東大近辺、あるいは本郷あたりで闘争などが発生すると、大抵は本郷の本富士署に留置された。本富士署は東大のすぐ横にあった。1969年1月の東大安田講堂攻防戦の際などには、本富士署に警視庁の総合警備本部がおかれることが多かった。
モロトフカクテル【もろとふかくてる】〔名詞〕
火炎瓶の別称。「球根栽培法」や「栄養分析表」などの秘密本に紹介されている火炎瓶の名称となっている。モロトフはロシア革命にも参加した旧ソ連の指導者の一人。1957年、反党グループとして失脚し、1961年に除名されたが1984年に復党し、1986年死去している。

【は行】

全共闘時代用語の基礎知識

【は行】



ハイジャック【はいじゃっく】〔名詞〕
1970年3月31日、共産同赤軍派の9人のグループが、午前7時過ぎに羽田を飛び立った福岡行きの日航351便、通称「よど号」を乗っ取り、乗客を人質に北朝鮮へ行くこと命じた。これが日本でのハイジャック事件の嚆矢となった。飛行機はいったん福岡空港へ着陸し、給油したうえ、平壌だと偽り、韓国の金蒲空港に着陸した。しかし、実は金蒲空港だとすぐに見破られ、結局、人質の身代わりとして、「男」山村新治郎運輸政務次官が飛行機に乗り込み、結局、機は平壌に到着し、ハイジャックは成功した。
ちなみに、飛行機の乗っ取りをハイジャックhijackというのは、アメリカの西部劇時代に、駅馬車強盗が、Hands up high, Jack!(きさま、手をあげろ)と脅したことからきている。後半部分を一語にまとめたものだ。

背叛社【はいはんしゃ】〔組織〕
70年安保闘争の先駆をなしたアナーキストグループ。田無の日特金属襲撃事件を起こしたベ反委(ベトナム反戦直接行動委員会)のメンバーであった和田俊一(元・東京理科大生)が1967年に設立。1968年のメーデーには、日共=民青のデモ隊に突入事件を起こし、同年6月29日には、日本共産党本部玄関前に数本の火炎瓶を投擲し逃走した。が、同年10月6日の夜、事務所で爆発物を調合中、爆発し、数人が負傷。メンバー11人が逮捕される(=背叛社爆弾誤爆事件)。その公判で、リーダーの和田俊一は、警視庁公安一課の間々田敬作警部補から、情報提供の謝礼として11万円を受け取り、「自民・公明両党本部も襲えと示唆された」と証言し、話題をまいた。が、裁判そのものは、その後の全学連各派による爆弾事件に比べ、爆弾の破壊力が弱かったと判断され、多くが執行猶予となった。
背叛社はこの事件以後、解体に追い込まれたが、旧背叛社の一部メンバーにより「タナトス社」が結成された。ちなみに、タナトスとは死神のことである。
また、後に元背叛社のメンバーである三菱重工トップの御曹司M氏が、新宿ピース缶爆弾事件の公訴時効成立後、自分の犯行であることを告白した。M氏は、1968年当時、新宿西口広場で、「爆弾」と大書した張り子を背中に担いで、裸でハプニング(今日のパフォーマンス)をしていた。
※写真は、背叛社の崩壊後、元背叛社の一部メンバーが保釈中に結成したタナトス社の機関誌「THANATOS 第貮号」(昭和四十四年十二月十五日 斧の会発行)

ハイミナール【はいみなーる】〔薬物〕
市販の睡眠薬の名称。主にフーテンが使用。眠るために使用したのではなく、イイ気持ちになるために服用した。アルコールと一緒に飲むと、人によって数分間で意識が錯乱し、あらぬことを口走ったり、奇矯な行動に出る。そして突然、その場で失神状態に近い眠りに落ちる。「ハイちゃん」ともいった。口がまわらず「らりるれろ」がいえなくなるため、その状態を「ラリる」といったことが流行語になった。

二十歳の原点【はたちのげんてん】〔固有名詞〕
高野悦子の遺稿集。高野悦子は立命館大学のノンセクトの活動家で、「わだつみの像」の破壊闘争などに参加したが、1969年6月24日午前2時36分頃、自宅アパート近くの鉄道に飛び込み、自殺した。彼女の遺稿集『二十歳の原点』が1971年に新潮社から出版され、ベストセラーになった。以後、『二十歳の原点序章』『二十歳の原点ノート』が刊行された。
【証言】当時は、活動家の自殺というと、異様に鉄道自殺が多かったように思うが、時代的というか、それとも何かサインなのだろうか?(=イワン)

腹腹時計【はらはらどけい】〔固有名詞〕
三菱重工などの連続企業爆破を敢行したアナーキストグループである東アジア反日武装戦線が出版した爆弾製造法と闘争教程本。発行は1974年3月、発行者は東アジア反日武装戦線“狼”。戦時下に日本共産党の地下組織が作成した軍事教本にも同名のものがあったという意見を寄せてくれた方もあるが、僕自身はその本の存在を知らない。

バリ・スト【ばりすと】〔名詞〕
バリケード・ストライキの略語。ストライキの形態はさまざまあるが、その中でバリケード封鎖をともなったストライキをいった。例文:「バリ・ストに突入」

叛旗【はんき】〔固有名詞〕
共産同叛旗派の機関紙名。

叛逆のバリケード【はんぎゃくのばりけーど】〔固有名詞〕
日大闘争を記録したドキュメント本の題名。三一書房発行。1969年1月31日初版。
※写真は、三一書房版の巻頭グラビアにある写真。学生が掲げている遺影は、日大の古田会頭である。

反戦【はんせん】〔組織〕
反戦青年委員会の略称。hanSENと尻上がりのイントネーションで発音するのが一般的だった。普通は「反戦青年委」あるいは「反青委」などと略す。総評民同指導部傘下の大単産青年部を中心に、未組織労働者が広範に結集した労働者組織だったので、筋金入りの連中がいて、闘争といえばたいていは彼らが参加していた。1965年8月30日結成。初期のスローガンは、「ベトナム戦争反対!」「アメリカはアジアから手をひけ!」「反共軍事同盟の日韓条約批准を青年の力で阻止しよう!」「沖縄をかえせ!」だった。

反戦青年委員会【はんせんせいねんいいんかい】〔組織〕
「反戦」の項目を見よ。

反戦フォーク集会【はんせんふぉーくしゅうかい】〔名詞〕
ベ平連主催のフォークソング集会。ほぼ毎週土曜日の新宿西口広場で開催されていた。1968年6月15日には、昼夜で行なわれ4万名を上回る人が集まったといわれる。

反帝学評【はんていがくひょう】〔組織〕
全国反帝学生評議会連合の略称。社青同解放派のなかのラジカルな部分によって、昭和44年に結成された。中核派、社学同とともに三派全学連を結成。「はんていがっぴょう」と読むこともあった。

反帝全学連【はんていぜんがくれん】〔組織〕
新左翼各派の分裂は、1968年くらいになって、顕在化してきたといえる。1968年6月15日には、日比谷野音で中核派と革マル派・解放派の連合とが衝突し、三派系全学連は実質的に解体しはじめた、そうして翌年、7月に三派系全学連の大会が開かれたが、このと中核派は三派から中核派全学連として独立し、反中核派連合として反帝全学連が結集した。これに参加したセクトは、社学同、ML派、社青同解放派、第四インターであった。反帝全学連の委員長は藤本敏夫。が、その後、社学同と解放派が対立し、解放派は解放派全学連として独立してしまい、三派全学連は事実上瓦解した。

反帝・反スタ【はんていはんすた】〔標語〕
反帝国主義・反スターリニズムの略。革共同(革命的共産主義者同盟)のスローガン。

反面教師【はんめんきょうし】〔名詞〕
毛沢東語録にある言葉。悪いものを批判的に評価し、そこから学ぶこと。

反代々木【はんよよぎ】〔組織〕
日本共産党に反対するグループの総称。(類語:反代々木系)

パルタイ【ぱるたい】〔組織〕
日本共産党のこと。ドイツ語でパルタイとは党をさす。五十年代から六十年安保当時の用語。倉橋由美子の小説の題名にも使用され、新左翼にとっては官僚主義的な組織といった負のイメージを持つ言葉である。

パルチザン【ぱるちざん】〔名詞〕
ゲリラ活動や遊撃活動を行なう不正規部隊。ことに関西の大学で生まれた無党派急進的なグループ。「京大パルチザン」のほか「立命館パルチザン」もあった。オウムの早川喜代秀はパルチザンだったという噂があるが、未確認である。

日和る【ひよ-る】〔動詞〕
闘争を怠けたり、あるいは逃亡したり、遊びに逃げたりすること。日和見主義的に物事に対応すること。

びびる【びび-る】〔動詞〕
恐がって身をすくませること。消極的になること。機動隊と闘わずに逃げだすこと。この言葉は実際は造語ではなく、古語に「びびる」とある用法と同じである。

PFLP【ぴーえふえるぴー】〔組織〕
パレスチナ人民解放戦線の略語。アラブ系の過激組織で、のちに重信房子らの日本赤軍が参加。赤軍派の「世界同時革命」のポスターにPFLPの名前があったのを思い出す。

フーテン【ふーてん】〔名詞〕
本来は、「瘋癲」(ふうてん)と書き「精神状態が正常でないこと。また、そういう人」(岩波国語辞典)の意味だが、当時はカタカナで書き表した。定まった宿を持たず、また仕事も学生運動もせず、ぶらぶらしているグループをさした。主に新宿駅周辺に定住し、山の手線電車などに宿泊するものもあった。ラッパズボンに、サングラス、伸ばしたヒゲに長髪といったスタイルがポピュラー。1968年9月には、新宿のマンモス交番にフーテンが投石し、五人が逮捕された。のちにヒッピーやイッピーと呼ばれるようになる。孤島である諏訪之瀬島や、のちには山間部の過疎地に共同体生活を求めたものもあるが、結局は、都会の生き物であったのか、のちにはほとんど挫折した。
※写真は諏訪之瀬島で共同生活を営んでいたグループが発行していた新聞「部族 THE TRIBE vol2 No.2」(エメラルド色のそよ風族・発行)

風月堂【ふうげつどう】〔固有名詞〕
新宿中央通りにあったマンモス喫茶店。フーテン、全共闘、文学青年、映画青年など、さまざまな人達の溜まり場であった。実際は風月堂の「風」の字は、中が「百」である。

薔薇の詩【ばらのうた】〔固有名詞〕
セルバンテス著。中南米におけるゲリラ戦の教本。「本書は、そのためゲリラ戦の基本戦闘形態である“みえない兵士”の製造=爆発物に関する知識の案内書である」と序にある。(「構造」71年6月号より)

フランスデモ【ふらんすでも】〔名詞〕
デモ隊の横列が手をつなぎ、道路一杯に広がるデモの方式。日大全共闘の神田一帯を揺るがしたフランスデモはすごかった。《証言:僕の友達の民青のキャップが最初に僕を誘った言葉が、「フランスデモは最高だよ」だった。(=イワン)》

フロント【ふろんと】〔組織〕
フロント派ともいう。構造改革派(構改派)の一つ。統一社会主義者同盟(統社同)フロント派の略称。《証言:確か、東京外大にフロントがいたので見たことはあるんだが……。(風太郎)》

ブクロ【ぶくろ】〔組織〕
中核派のこと。中核派の本拠である前進社が池袋にあったことから。「ブクロ中核派」ともいう。

ブラックパワー【ぶらっくぱわー】〔名詞〕
アメリカにおける黒人運動の呼称。白人権力機構を打倒するために生まれたもの。マルコムXなどが有名。SNCCやCORE(人種平等会議)などが組織としては有名だった。ただし、政治的理論的にはあいまいな点があり、一元化できないところもあった。

ブル新【ぶるしん】〔名詞〕
ブルジョア新聞の略。朝毎読などに代表される一般紙をさす。ブル新は、学生や労働者などのプロレタリア側よりも、政治権力側についていたと、当時の学生達は判断していた。日共=民青はブル新とはいわず「商業新聞」と呼んだ。
《証言:ブル新のデモ参加者の数は、いつも主催者発表よりも少なかった。公安の発表をそのまま載せていたんだろうね。今でもそうだが……。》

ブント【ぶんと】〔組織〕
厳密には共産主義者同盟(共産同)のこと。ときにはその学生組織である社会主義学生同盟(社学同)もブントと呼ばれた。ドイツ語のブントBUNDは同盟や連盟という意味。英語読みでブンドと読む人もいた。《参照→社学同、共産同》

プチブル【ぷちぶる】〔名詞〕
プチブルジョアジーの略。小市民のこと。プロレタリア的な視点に立たず、かといって、完全な反革命側でもないが、どちらかというとブルジョア的な考え方をする者。蔑称として使用されることが多かった。

フラク【ふらく】〔名詞〕
フラクション[fraction]の略。左翼政治組織が労働組合などの中に作る党員組織、細胞のこと。

プロ学同【ぷろがくどう】〔組織〕
プロレタリア学生同盟の略称。構造改革派(構改派)の一つ。

プロテスト・ソング【ぷろてすと・そんぐ】〔名詞〕
1960年代の終わり頃から、フォークソングは反体制的な雰囲気を持つようになり、思想や主張を歌いこんだものが多くなった。こうしたフォークソングを「プロテスト・ソング」とか「メッセージ・ソング」と呼んだ。アメリカでは、ボブ・ディランや、ジョーン・バエズが有名。日本では、岡林信康が「山谷ブルース」でデビューし、反戦フォーク集会(フォークゲリラ)で活躍した。この流れにのって、新谷のり子が、学園闘争の最中にパリで焼身自殺した女性を歌った「フランシーヌの場合」を発表した。

分離公判【ぶんりこうはん】〔名詞〕
学生事件が起訴され、公判がはじまると、刑事被告人となった学生たちは、分離公判か統一公判かを選ぶことになった。あるいは、公判の途中で、分離公判に転換するものもいた。分離公判を選ぶ理由は、大抵、罪状を素直に認めることにより、刑期を軽くするためであったり、あるいは統一公判になると裁判闘争ということで、裁判が長期化するデメリットを避けるためだったようである。《参照→統一公判》

平民学連【へいみんがくれん】〔組織〕
日本共産党が組織した自治会の全国組織。「安保反対・平和と民主主義を守る全国学生連絡会議」の略称。民青全学連の前身。

米タン【べいたん】〔固有名詞〕
米軍用の燃料タンクのこと。当時の国鉄の貨物列車がアメリカ軍用の燃料タンクを主に中央線で輸送していた。これがベトナム戦争の継続拡大につながるとして、米タン輸送阻止闘争が展開された。
《証言:僕は中央線沿線に住んでいたが、夜中に貨物列車が通るたびにアパートが揺れた。しかし、どれが米タンなのか、それとも国内の石油メーカーのタンクなのか、実際のところ区別はつけがたかった。それよりあるとき貨車に戦車が載っていたのを見たときは、正直いって、恐かった。=風太郎》

米帝【べいてい】〔固有名詞〕
アメリカ帝国主義の略称。

米日反動勢力【べいにちはんどうせいりょく】〔固有名詞〕
日本共産党では、日本もアメリカも帝国主義ではなく「反動勢力」であると位置づけていた。このため、米日反動勢力という呼称を使用していた。

ヘゲモニー【へげもにー】〔名詞〕
ヘゲモニー[hegemony]は、覇権のこと。ヘゲモニーのギリシャ語源は「先に立って導く」意味。政治的な支配権。【例文】「今回の闘争は、ブントがヘゲモニーを握った」

べ反委【べはんい】〔組織〕
ベトナム反戦直接行動委員会の略称。法政・明治・早稲田のアナーキスト研究会、中央大、東大のベトナム反戦直接行動委員会、日本アナーキスト連盟などが結成したベトナム反戦直接行動委員会のメンバーら十五、六人が、1966年10月19日、ベトナム反戦ストを前に、ヘルメットとコン棒を持ち、田無市の日特金属工業会社を軍需工場であるとして襲撃し、事務所の電話機や動力室の電源を壊した。

べ平連【べへいれん】〔組織〕
「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の略称。1965年に、小田実、開高健、鶴見俊輔、堀田善衛らが創設。おとなしいデモや討論会、反戦広告,米兵の脱走援助などの活動をした。1974年に解散した。

放水車【ほうすいしゃ】〔名詞〕
機動隊の武器の一つ。装甲車に戦車砲をつけたような感じ。その戦車砲から催涙ガスの混じった水が勢いよく学生デモに向かって直接放水される。ときには火炎瓶の誤投で全身火だるまになった学生の消火にあたった。濡れ鼠になるほか、催涙ガスで目が開けていられず、またパンツの下まで皮膚がぴりぴりした。

ボルシェビキ【ぼるしぇびき】〔名詞〕
多数派の意味。本来は、ロシア革命の際に、議会で多数派を握ったレーニン一派をさす。全共闘時代には、党派内や全共闘内での主流派といったような意味でも使われた。少数派は「メンシェビキ」。

ポツダム自治会【ぽつだむじちかい】〔名詞〕
戦後民主主義にのっとって作られた大学の学生自治会のこと。デモクラシーではあるが、それは形式主義的なものであり、無意味な存在であるとされた。

【な行】

全共闘時代用語の基礎知識

【な行】


ナンセンス【なんせんす】〔かけ声〕
大衆団交や討論のときなどに、相手が間違ったことをいったり、相手のいったことに反対したい場合のかけ声。馬鹿げたこと、間違っている発言などを指す。「な~んせんす!」といった口調であった。この「ナンセンス」と「異義なし」の二つを知っていれば、即刻、全共闘になれた。自由国民社の「現代用語20世紀事典」によると、60年安保当時から学生が使ったとあるが本当か。《反対語:異義なし》

肉体オルグ【にくたいおるぐ】〔名詞〕
セックス行為、あるいはセックスアピールを馬の鼻先のニンジンにして、新人を獲得する方法のこと。あるいは肉体関係をつけて女性を闘争に参加させること。オルグ要員としては、男性には女性を、女性には男性をあてるのが普通。どの党派もこれをやり、ときには宗教団体でさえも、新人のオルグは異性が担当するといわれていた。それで期待に胸をふくらませた学生もいた。
しかし、現実は厳しい。そうそう簡単に肉体を得られる機会はなかったといってもいい。やらずぼったくりとは、このことであろう。むしろ、肉体オルグの結果、同棲へと進み、結婚した学生も多かったのではないか。

日学同【にちがくどう】〔組織〕
日本学生同盟の略称。全学連に対抗して右翼学生が作った学生組織。

日大闘争【にちだいとうそう】〔固有名詞〕
学費値上げ反対闘争から、日大の全学部を巻き込む大闘争に発展した。当時の会頭であった古田体制打倒がスローガン。全学共闘会議が組まれ、これが全共闘運動の始まりとなった。
nichidaitoso.jpg
※写真は、日大闘争の記録写真集『日大闘争』。ヘルメットとオーバーラップさせてある写真は、両国の日大講堂での大衆団交の様子を写したものだろうか。撮影は日大全共闘記録班、日大全学共闘会議書記局の田村正敏が編集責任、昭和44年2月10日、五同産業(株)出版部発行。参考サイト→ http://www.z930.com/shasinnshuu_gei_n.htm

《壁に書かれた有名な文書》


生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で
生きている
毎日自主講座という栄養をとり
“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
毎日精力的に生きている

生きてる 生きてる 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ“解放”というアンプルで
今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で
生きている

生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている
-----------------------------------------
「ストニモマケズ」
デモニモマケズ
ヘルメットニモ
ゲバ棒ニモマケズ
ウソヲツキ
右翼ヲ使イ
機動隊ヲ使イ
団交デハヤメルトイイ
団交ナケレバヤメヌトイイ
ミンナカラ
「フルタ、タオセ」ト言ワレ
ストニモマケズ
イツマデモ退陣シナイソオイウヒトニ
ワタシハナリタイ

日共【にっきょう】〔組織〕
日本共産党の略称。主に反日共系がとなえていたが、マスコミでも使用していた。(類語:日共系、反日共系、中共、社共)

日帝【にってい】〔固有名詞〕
日本帝国主義の略。日本の資本主義的進展は、再び戦前のような帝国主義的な侵功をするのではないかという警戒感もあった。

ニューレフト日本赤軍【にゅーれふと】〔呼称〕
いわゆる「新左翼」のこと。ことに欧米で巻き起こった新左翼運動をさす。

日本赤軍【にほんせきぐん】〔組織〕
もともとは共産同赤軍派であったが、昭和46年2月に、重信房子などがPFLPと連帯するためにパレスチナに渡り、結成された。その後、昭和47年5月にはテルアビブ空港乱射事件、48年7月には日航ジャンボ機ハイジャック事件、シンガポール・シェル石油襲撃事件(49年2月)、クェート日本大使館占拠事件(49年2月)、クアラルンプール大使館襲撃事件(50年8月)、ダッカ事件(52年9月)などを起こした。

ノンセクト・ラジカル【のんせくとらじかる】〔名詞〕
無党派の急進派という意味。どのセクトにも属さないが、ゲバルトでは活躍する。一般的に「黒ヘル」ともいっていたが、厳密には思想的にアナキズムを信奉しているのが黒ヘルで、ノンセクト・ラジカルは、党派に入り損ねたがチャンスがあれば暴れたい人達の小さなグループであった。組織は嫌いだが、過激なことは大好きというほとんど無責任な人達である。
おおむねブント系が多く、そのあたりブントにはノンセクトラジカルを養える素地があったのであろう。この点、革共同から離れた人は、地道に労働運動をするというタイプが多かった。構造改革派も同じ。共産同赤軍派は、戦旗派と内ゲバを起こしながら分裂したが、人数的には少数だったので、闘争の初期から末期にかけて、こうしたノンセクト・ラジカルを組織化のターゲットにした。この非組織性的傾向が、あるいは連合赤軍の悲劇のひとつの要因になっていると思われる。ノンセクト・ラジカルの中で、ドジな学生を「ノンセクト・ドジカル」などという冗談もあった。

ノンポリ【のんぽり】〔名詞〕
ノンポリティカルnon politicalの略。本来は、非政治的学生という意味。左右両翼の学生運動に無関心な学生、あるいは学生運動や政治運動に参加しなかったり、興味を示さない学生。大学が封鎖されたりして授業がないのは好きだが、党派の名前も理論も行動も関心を持たない人達のこと。真面目に授業に出席し、優の数もしっかり確保し、就職もいいところに入ったようである。ただし、ノンポリの中には、大学にこず、当時流行りはじめた乱交パーティなどで遊び暮し、身を滅ぼした者もいたようだ。また、まったくデモに参加しなかったわけではなく、平和デモというと案外参加していた人もいたようである。たぶん全学生の8割くらいがノンポリであったと思われる。

【た行】

全共闘時代用語の基礎知識

【た行】



大衆団交【たいしゅうだんこう】〔名詞〕
学生用語。日大闘争で生み出された言葉だと記憶していたが、東大全共闘が作ったのかもしれない。学生大衆の前で、大学当局の責任者たちを缶詰めにしてつるし上げる集会。東大闘争での大衆団交に出席した林健太郎文学部長は、のちに「軟禁一七三時間の記」という文章を著わしている。

大ブント構想【だいぶんとこうそう】〔名詞〕
ブント(共産同=共産主義者同盟)を中心にした大衆的大同団結構想のこと。1958年に六全協での共産党の方針転換によるショックから、共産党の支配下を飛び出した学生活動家たちが集合して、共産主義者同盟(ブント)を結成して以来、ブントは、ある意味で野合集団としてのメリットとデメリットの確執にあえいできたといえよう。60年安保以後、一度分裂したブントは66年に再建されるが、69年には再び分裂し、以後は十七、八派が乱立しながら今日に至っている。この間、「大ブント構想」なるものが現われては消え、何度も大同団結がはかられているようだが、いまだにそれは実現していない空想のようである。《関連→六全協》

大麻【たいま】〔名詞〕
1970年代に入ると、大麻とLSDが流行した。しかしLSDの特にLSD25と呼ばれる薬は、文字どおり「幻の薬」といわれ、体験した人間を見つけるのは、なかなか困難であった。その点、大麻は当時、かなり学生の間に流入していたようである。大麻吸引の方法は、多くが、紙巻きタバコの中身を出し、そこに乾燥大麻の葉を刻んだものを詰めた大麻タバコだったが、これが1970年初頭当時で、一本二千円程度で闇で流通していた。また密栽培も多くおこなわれていたようであり、一般に出まわっていたものは、粗悪な製品もかなりあった。ハシシという名前はまだ一般的ではなく、ときには「クサ」「はっぱ」と呼んだこともあった。

タテカン【たてかん】〔名詞〕
立看板のこと。「立て看」とでも書くのだろうか。当時は会話の中で使っていた言葉なので、表記は不明である。バリケードの周囲や、大学構内、大学周辺などに立てられた闘争スローガンなどが大書されていた大きな看板のこと。中国の簡体文字に似ている部分もあったが、簡体字とは多少書体などが違っていた。文化大革命で登場した壁新聞の影響というが、定かではない。各セクトによって書体が異なっていたともいう。1968年以前のタテカンと、1968年以後とを見比べると、書体の勢いや完成度において、未完の感がある。1968年ごろから一挙に技術的に高まっていったのではなかろうか。タテカンには模造紙を貼るが、模造紙を縒れないように貼るには、ちょっとした技術が必要で、なかなか素人にはできなかった。
【証言】早稲田であるとき、卓球台をそのままタテカンにしたことがあった。革マル派の学生がこれを見つけて、足で蹴飛ばしたら、あまりにも固いので、足を骨折したという話がある。(=イワン)
※写真は当時の書体見本。「理論無き行動は無、行動無き理論は死」と書いてある。

大学解体【だいがくかいたい】〔標語〕
「帝大解体」ともいう。「帝大解体」の文字は、東大の本郷で見掛けたが、「大学解体」のほうは、各大学で見掛けることがあった。全国学園闘争の共通の目標といっていい。東大闘争の先鋭化で、新左翼系学生達は「大学解体(帝大解体)」のスローガンを掲げるようになった。各大学における無期限ストとバリケード封鎖は、文字どおり大学制度に混乱を呼び、入試中止や前期・後期試験の中止などが相次いだが、それでも結局、大学は潰れなかったし、大学制度が変化したということもなかった。《参照→帝大解体》

大菩薩峠【だいぼさつとうげ】〔地名〕
1969年11月5日、共産同赤軍派が大菩薩峠で、首相官邸占拠を計画して、鉄パイプ爆弾などの武闘・軍事訓練をおこなおうとしたが、警察がこれを逸早く察知。山梨県大菩薩峠にある「福ちゃん荘」に泊まっていた五十三人(事後逮捕を含む)の学生・労働者全員が凶器準備集合罪の現行犯で逮捕された。逮捕者の中には、塩見孝也議長など幹部が含まれており、これにより共産同赤軍派は結成当初に壊滅的な打撃を受けた。

第四インター【だいよんいんたー】〔組織〕
「日本革命的共産主義者同盟・第四インターナショナル日本支部」の略。正しくは「だいしいんたー」と読む。もともと、1958年に結成された日本トロツキスト連盟が前身で、その後、トロツキスト連盟が革共同となり、59年8月に分裂した際に、第四インターとなった。
ちなみに、インターナショナルは、プロレタリア・インターナショナリズムに基づく労働者、社会主義政党の各種国際組織の通称。スターリンの支配下にあった第三インターナショナル(第三インター、コミンテルン)に抗して、トロツキーを中心に第四インターナショナルが、世界革命を指導する新しい国際組織として結成され、トロツキズムを信奉する日本の学生・労働者が日本トロツキスト連盟を結成し、のちに第四インターを結成した。俗称では「四トロ」とも呼ばれた。四トロには、武装蜂起準備委員会と、国際主義共産学生同盟があり、全共闘時代には大田竜などが、評論活動などをおこなった。少数党派であり、1968年当時はあまりデモには参加せず、行動的には比較的温和しい理論好きの人間が多いセクトであったが、70年以降は、武装蜂起準備委員会を中心に成田闘争で開港前の管制室を破壊するなど、過激な闘争に転じていたようだ。

ダラ幹【だらかん】〔名詞〕
無能で無力な党派の幹部のこと。そのくせ威張り散らす。いつの世にも存在するが、全共闘時代も無縁ではなかった。ことに、全共闘運動が衰退しはじめると、人材が払底し、昨日のペエペエが、今日はセクトの幹部になっているというインフレ的な人事がおこなわれていた。幹部になれば、大抵、女の子が寄ってきて、肉体を捧げてくれたりしたこともあったので、その地位は魅力ではあった。女の子が運動に入る動機に、いくぶんかはボーイハントという気持ちもなかったとはいえない。

楯の会幹【たてのかい】〔組織〕
全学連や全共闘の激しい運動に対して対抗心燃やした作家・三島由紀夫が、昭和43年10月、自衛隊への体験入隊を経た同志の青年たちを糾合して結成したおもちゃのような民兵組織。2年後の昭和45年11月25日、『豊饒の海』シリーズの最終原稿を新潮社に渡したあと、三島は、楯の会の森田必勝ほか3名とともに、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に侵入し、監禁した益田総監に全隊員を集めるように要求した。ついで、バルコニーから1000名近い隊員を前に、クーデター決起を促す演説をしたが、誰にも聞き入れられず、総監室で割腹自殺するという衝撃的な事件を起こした。以下は、三島由紀夫の檄文。



 われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で漂烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきてゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与ヘられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が日ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に人り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとヘに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段陪に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとつてはそれでよかろう。しかし白衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十五年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亘つて、憲法改正を待ちこがれてさた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたように、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定すろものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の衿りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武上である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定すろ憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を・自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武土の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこかへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武土として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

 単ハネ【たんはね】〔名詞〕
一人または、少数のデモの参加者が、デモの方針や指揮者の指示に従わずに単独で警察関係者に突っかかったり、ゲバルトを行使することを指す言葉。単独でハネるので単ハネと言う。デモの指揮や方針に従わず単ハネをすると、デモ参加者全員が危険にさらされるので単ハネ行為は厳禁であり、迷惑がられた。

ダンモ【だんも】〔名詞〕
モダンジャズのこと。「モダン」の倒語が「ダンモ」である。通が使用した言葉。

治安出動【ちあんしゅつどう】〔名詞〕
学生運動の高まりを、警察権力だけでは押さえ切れないと思いはじめた政府は、自衛隊の治安出動を検討しはじめ、1969年3月には、特別警戒訓練の名前で出動の訓練をしはじめた。いよいよ鉄砲や戦車を目の前に闘わねばならないのかと、新左翼学生達は覚悟した。しかし、治安出動は現実にはなかった。

地平【ちへい】〔名詞〕
全学連用語のひとつ。世界や環境といったような意味合いで使われた。「理論武装で新たな地平を開く」といったように使用した。

ちび官【ちびかん】〔名詞〕
ちび官僚の略。中学や高校の時から党派の同盟員で、党派に対する忠誠心は強いが、たいがい嫌なやつであった。オウム真理教でいえば井上嘉浩のような存在といえよう。

中核派【ちゅうかくは】〔組織〕
通称は、革共同中核派。正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」。一般的に中核派と呼ばれるのは、マル学同中核派で、「革命的共産主義者同盟全国委員会」の学生組織。正式名称は「日本マルクス主義学生同盟中核派」である。当初、マル学同は革共同(革命的共産主義者同盟)の学生組織であったが、これが革マル派と中核派に分派した。1960年代では、日常的には「中核」と呼び捨てにした。ヘルメットの色は白地に「中核」の文字。革共同(革命的共産主義者同盟)は、もともと1957年に結成された日本トロツキスト連盟が前身。同年12月に革命的共産主義者同盟に改称した。

中共【ちゅうきょう】〔組織〕
中国共産党の略称。

中京安保共闘【ちゅうきょうあんぽきょうとう】〔組織〕
京浜安保共闘と同系列の組織と思われるが、不明。1971年4月11日、名古屋で、ダイナマイトの一種であるコーズマイト100本を所持していた二十歳の男が、愛知県警に逮捕された。男は名古屋中央郵便局の職員で、中京安保共闘の一員だった。

帝国主義的再編【ていこくしゅぎてきさいへん】〔名詞〕
日本がアメリカ帝国主義と結託して、日本の社会を再び帝国主義化するために、再編成しようとしているという状況分析のこと。学生運動に対するあらゆる妨害や規制、弾圧は、大学の帝国主義的再編から生み出されるものとされた。

帝大解体【ていだいかいたい】〔標語〕
「大学解体」ともいう。帝大とは旧帝国大学、つまり当時の国立一期校の一部の大学をさすが、具体的には東京大学を頂点としたすべての大学をさしたものと思われる。東大本郷の正門の門柱に「帝大解体」の文字が大書された。「大学解体」のほうは、全国学園闘争の共通の目標といっていい。東大闘争の先鋭化で、新左翼系学生達は「大学解体(帝大解体)」のスローガンを掲げるようになった。各大学における無期限ストとバリケード封鎖は、文字どおり大学制度に混乱を呼び、入試中止や前期・後期試験の中止などが相次いだが、それでも結局、大学は潰れなかったし、大学制度が変化したということもなかった。《参照→大学解体》

鉄パイプ爆弾【てつぱいぷばくだん】〔名詞〕
昭和44年の中頃から、学生運動の使う武器が変わった。鉄パイプ爆弾をはじめとする手製爆弾の使用である。ただ、1969年段階では、まだ完成度が低かったようで、試作段階だったと思われる。最初に闘争で使用されたのは、1971年6月の沖縄返還阻止闘争で、明治公園集まった学生を規制しようとした機動隊に対し、共産同赤軍派が、鉄パイプ爆弾を投げたのが全共闘運動における爆弾闘争の最初とされる。このとき、機動隊など37人が負傷したが、使用された爆弾が、どのような大きさのものか、そしてどのくらいの威力があったか、詳しいことはわからない。この鉄パイプ爆弾の中には釘などが入っていて、そのために負傷者が多くなったともいわれている。

デモ指揮【でもしき】〔動詞〕
ぎっしりと組み合ったデモの先頭で1本の棒を横に持っていて、隊列を崩さないようにするデモ指揮の学生がいた。その横でピッ、ピッと笛を吹き、抑えて抑えてと両手下に下げたりしている人もいた。ほとんど「神輿の顔役」状態である。こいつは機動隊とぶつかると、大抵は最初に捕まったので、この役を指名されると、逮捕・拘留を覚悟しなければならなかった。

デラシネ【でらしね】〔名詞〕
根無し草、放浪者の意味。浮き草のように漂う革命浪人をいった。五木寛之の『デラシネの歌』がベストセラーになった。
【証言】1970年くらいの僕は、学生運動から離脱して、友人をまったく失い、辻潤の虚無主義に走って、大学にも行かず、毎日朝まで人の財布で飲んだくれ、冬でも夏でもベンチでごろ寝の、まったくダラシネの歌だった。(=風太郎)

党【とう】〔組織〕
日本共産党の略称。1950年代から60年安保当時の用語では、日本共産党を指したが、1960年代の後半には、必ずしも共産党をさすものではなかった。それだけ、新左翼は共産党の影響下から離れていたといえよう。
統一公判【とういつこうはん】〔名詞〕
学生事件で、同じ事件で逮捕されたものが、一緒に裁判をうけること。主に、裁判闘争を目的としていたが、そのために統一公判では裁判が長期化するのが常であったので、早く裁判を終えたい者などは、途中で分離公判に切り替えることがあった。《参照→分離公判》

恫喝【どうかつ】〔名詞〕
おどして恐れさせることの意だが、大学当局や自民党政府、あるいは他党派などからの暴力的、あるいは威圧的な態度や言動をいった。《例文》「恫喝を加える」

東京戦争【とうきょうせんそう】〔標語〕
共産同赤軍派が結成当初に出した闘争方針。前段階武装蜂起のため、東京で都市ゲリラ的に権力との闘争をはじめるという軍事方針。ほか、赤軍派は「大阪戦争」もとなえ、東京につづき、大阪でも都市ゲリラが展開された。《参照→大阪戦争、前段階武装蜂起》

投石【とうせき】〔名詞〕
学生が使った武器の一つ。通常、歩道に敷かれていた四十センチ四方くらいのコンクリートブロックをはがし、舗装道路の上に落としたり、あるいは鉄パイプなどで手頃な大きさに割って、投げる。デモの際には、投石製造部隊が後方で投石を製造し、それを最前列にいる部隊に手渡した。しかし、学生は総じて栄養状態が悪く、また青白きインテリが多かったので、強肩が少なく、機動隊まで投石が届かないことが多かった。また、機動隊と学生とが対峙している距離も、かなり遠かったので、野球選手でなければ届かなかったこともある。広島大学の封鎖解除では、人間の頭ほどある投石がされ(というより落石に近いが)、機動隊員が死亡したと伝えられる。

党宣言【とうせんげん】〔固有名詞〕
マルクスとエンゲルス著の「共産党宣言」の略称。アジ演説的な雰囲気があり、文庫で薄い本で、読みやすいかったので、当時の学生は大抵は何よりも先に読んだ。

党内闘争【とうないとうそう】〔名詞〕
党派(セクト)内での派閥争いのこと。通常「内ゲバ」と呼ばれているものは、セクトでは党内闘争と呼ばれることが多かった。

党派闘争【とうはとうそう】〔名詞〕
対立するセクト間の闘争のこと。たとえば、革マル派とブントが衝突すれば党派闘争であり、ブント内の関西派と関東派が衝突するのは党内闘争ということになる。

時計台放送【とけいだいほうそう】〔名詞〕
1969年1月18、19日の東大安田講堂攻防戦において、落城までずっと声名を発し続けた放送。最後の放送は、「われわれの闘いは勝利だった。全国の学生・市民・労働者の皆さん、われわれの闘いは決して終わったのではなくわれわれにかわって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時、この放送を中止します」だった。落城は1月19日午後五時四十五分だった。

都市の論理【としのろんり】〔固有名詞〕
羽仁五郎著の書籍。1968年12月15日に勁草書房からペーパーバック版が出て、ベストセラーになった。大学自治の歴史と、その闘いの正当性を、ヨーロッパ中世の歴史などから熱意あふれた解説をし、現代の大学闘争のあり方などについて啓蒙した。羽仁五郎は、映画監督羽仁進の父親で、戦前は共産党員だった。

砦の上にわれらの世界を【とりでのうえにわれらのせかいを】〔固有名詞〕
東大闘争の記録集。編者は東大全学共闘会議。亜紀書房刊。当時、全共闘学生のベストセラーになった。1969年4月10日第一刷。
《証言:この本が出たときに、すぐ買ったのだけれど、すぐになくした。というよりは、そのときつき合っていた女の子が、この本を欲しいといったので、進呈したのだ。僕はなんと軟弱だったことか。=風太郎》

トロツキスト【とろつきすと】〔名詞〕
ロシア革命時の指導者の一人であるトロツキーの理論を信奉するものの意味。暴力革命を目指す人たちの意味にも使われた。共産党系の学生が、新左翼系学生を総称していい、これに対して新左翼系学生は共産党系学生を「スターリニスト」と呼んだ。しかし、新左翼がすべてトロツキーの理論を信奉していたわけではなかった。

ドイデ【どいで】〔固有名詞〕
マルクス著の「ドイツ・イデオロギー」の略称。それほどにポピュラーな本であったが、完読した学生は何人いただろう?

同伴喫茶【どうはんきっさ】〔固有名詞〕
男女がいちゃつくために設定された喫茶店。「同伴喫茶」と堂々とカンバンに掲げてある店もあったが、中には通常のマンモス喫茶の上の方の階を同伴喫茶部門にしている所もあった。内部は足元が不如意なくらい薄暗く、カップルは大抵は長椅子に座らせれられる。細長いフロアで、左右に一列ずつ長い椅子があり、大抵は皆同じ方向に向いているが、左右は多少ずれて並んでいるため、後ろを見ると、他のカップルが何をしているかがぼんやりわかった。1969年当時、コーヒーが五百円で、普通の喫茶店よりかなり高かった。ちなみに、当時、普通の喫茶店は、コーヒーが高くてもせいぜい二百円前後であった。

怒涛派【どとうは】〔組織〕
共産主義者同盟の一派。学生組織は共産主義学生戦線。機関紙「怒涛」。

ともしび【ともしび】〔名詞〕
新宿にあった歌声喫茶のひとつ。

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